[薬害エイズ裁判和解21周年記念集会 大勢の方にご参加いただきありがとうございました]
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- 2017.3.29
『薬害エイズ裁判和解21周年記念集会
130人もの大勢の方々が参加されました』
3月25日、薬害エイズ裁判和解21周年記念集会ご参集ありがとうございました。
東京駅至近の「ステーションコンファレンス東京」の会場に入りきれないほどの、130人
を超える方々が、亡くなった被害者700人へ黙とう、献花をささげていただきました。
和解21周年となる本年、厚生労働大臣へ出席要請をしていましたが、医薬食品衛生
局長が出席、代読となりました。しかし、代わりに出席された武田局長は、被害者救済
医療の要となる国立病院系を担当する厚生労働省医政局国立病院課長就任された時以来、
薬害エイズ被害及び被害者に、常に関心と思いを寄せていただいて私たちにとって信頼
高い方です。
今回の記念講演は、東京大学医科学研究所病院元院長 島田 馨 先生が「エイズが
日本に入った時代と医科研の診療」という演題でお話しされました。1985年に厚生
省が発表した日本でエイズ患者第1号となった男性同性愛者はエイズ発症基準の日和見
感染症等を発症しておらず、HIV感染者であったこと、ステロイドを治療で使ったこ
とからエイズとの認定をされず、後でエイズが判明した日本での第1号は1983年の
帝京大症例(血友病患者)になることや、東京の血友病患者会(東京ヘモフィリア友の
会)が東大医科研の島田先生を訪ね、感染事実を知ること、その後のフォローをお願い
したこと、またその後北海道から沖縄まで全国の血友病患者の人が検査を求め、また日
和見感染症治療を求めてきた話をゆっくりされた。
そのなかで、治療をしていた小児の患者数名を思い浮かべてのお話は、先生も涙をこ
らえての声に変わっていました。歴史的な経過で、島田先生も参加されていた厚生省エ
イズ実態把握研究班長の塩川優一元順天堂大学教授と共にAIDS診断基準などを作成
されていたそうです。その島田先生に私たちは何とか助けてほしいとお願いしました。
その願いに島田先生は、当時東大医科研感染症教授として1986-7年代のAIDS対
応で、献身的に病院全体で血友病HIV感染被害者の感染告知や感染被害者のフォロー、
日和見感染症治療の先駆けをされました。島田先生のもとで育まれた人材や医療方針、
考え方が、裁判和解後設立された現国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発
センター(ACC)の設立・理念にも反映されています。
静かに話される言葉には一つ一つ重みがありました。講演が終わった後、会場からは
大きな拍手が沸き上がりました。来賓として参加した東京原告の川田龍平参議院議員は、
和解しての恒久対策として医療体制により今の自分が存在しているとの話をされた。
島田先生にとっても医科研時代可愛いらしい坊やだったと川田氏が参議院議員として
国政に参画しているのは、初期のHIV医療を現在への医療へと敷設してこられた経緯
を振り返り感慨ひとしおだと思われる。
厚生労働省の担当者や医療現場のスタッフ、関係者の方々も30年前の当時を垣間見
た集会で、参考になったとのコメントをする方も多くいました。
そして、和解後21年、島田先生に会いたいと近隣・沖縄など遠方からも駆け付けた
患者・家族・遺族が多数集まった集会としても貴重でした。
大平勝美
当日の式次第
日 時: 平成29年3月25日(土)14:00~16:00
会 場: ステーションコンファレンス東京 402CD
主 催: 東京HIV訴訟原告団/弁護団
大阪HIV訴訟原告団/弁護団
事務局: 社会福祉法人はばたき福祉事業団
司 会: 東京HIV訴訟原告団 武田 飛呂城
1.開会挨拶 東京HIV訴訟原告団 代表 後藤 智己
2.黙 祷
3.献 花
4.来賓挨拶 厚生労働大臣 代理
医薬・食品衛生局長 武田 俊彦 氏
参議院議員 川田 龍平 氏
5.講 演 「エイズが日本に入った時代と医科研の診療」
元東京大学医科学研究所病院 院長 島田 馨 氏
6.弁護団挨拶 東京HIV訴訟弁護団 団長 清水 洋二
大阪HIV訴訟弁護団 塩野 隆史
7.閉会挨拶 大阪HIV訴訟原告団 代表 花井 十伍
※当日の配布資料もPDFでご覧いただけます。