「薬害エイズ裁判 和解18周年記念集会」が行われ、100人を超える方が集まりました。
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- 2014.3.31
[ 薬害エイズ裁判和解18周年記念集会(3月29日)、
会場いっぱいの参加をいただきました。 あらためて
薬害エイズ事件の原点に立ち返り、生き抜く裁判の旗
を掲げ続け、命を大切にした再発防止・恒久対策を訴
えてまいります。 ありがとうございあした ]
桜が満開に近く咲く東京駅周辺、和解記念集会の会場に100人を超え
る方々が集まりました。
今年、すでに5人の被害者が亡くなり、これまでに685人の命が奪わ
れています。開会は亡くなった685人への黙とうをし、参加者全員か
らの献花が捧げられました。ポピーやカーネーションの花々が献花
台に積み重なりました。
主催者を代表して、東京HIV訴訟原告団から18周年集会は薬害エイズ
裁判の原点に立ち返って、原告が裁判に思いを込めた「生き抜く」そ
して「二度とこの悲劇を繰り返すな」を関係者、そして当事者も確認
し風化させない「日」として続けていくことを表明しました。
来賓挨拶は厚生労働大臣からのメッセージを医薬食品局長が代読、内
容は悲惨な薬害エイズ被害を起こしたことの反省と被害者への哀悼の
意や救済について若干ふれたが、現在の被害の実情についての厚生労
働大臣としての思いは述べられなかったことは残念であった。もしか
して、事務方の認識がやはりその程度なのかと考えてしまった。
引き続き、薬害裁判和解の厚生大臣として国側の責任者であった菅直人
元総理の講演が続いてあったが、1996年の和解当時の人としての気持ち
と厚生省の責任者としての立場から厚生省内部の雰囲気や対応、みぞれ
交じりの氷雨降る中原告の座り込み、大臣室から見えるそのテント、そ
うした状況の中橋本龍太郎元総理や与党幹部の人と調整を図り和解に向
け積極的に動いた経緯を話された。大臣になって調査チーム発足させて
から、この問題の所管の生物製剤課から1冊から3冊、30冊と次々に出て
くる隠されていた1980年代初期の、いわゆるエイズの認識資料がなぜ眠
ったままだったのかを話された。
この経緯は、官僚の前任者の失敗をかばう、隠すという欠陥を取り上げ
た。この反省が正されない限り、隠ぺいによる体質が続き薬害の再発が
断ち切れる事になる。これは、医療機関など医療福祉に起きることで大
切な命が消されることになる。
大きな拍手で終えた菅元総理の講演後、東京・大阪薬害エイズ裁判原告
弁護団から挨拶がありました。
最後「日本は負の遺産を反省して前進しないで、負の遺産を忘れ去る、
消してしまうところに問題がある。私たちもみなさまも薬害エイズ裁判
の原点を絶えず思い起こし、忘れず将来を目指していきましょう」と
大阪HIV訴訟原告団代表から締めくくりの挨拶がありました。
今年も、薬害エイズ裁判被告製薬企業5社(田辺三菱製薬、化血研、日
本臓器、バイエル薬品、バクスター)から献花としてスタンド花をいた
だきました。お礼申し仕上げます。